【世紀の決別】フロイトとアドラー、なぜ二人の天才は絶交したのか?
【世紀の決別】フロイトとアドラー、なぜ二人の天才は絶交したのか?
心理学や自己啓発の世界で、今なお絶大な影響力を持ち続ける二人の天才がいます。
一人は、無意識の概念を発見した精神分析の創始者ジークムント・フロイト。
もう一人は、『嫌われる勇気』で日本中にアドラー心理学ブームを巻き起こしたアルフレッド・アドラー。
この二人は、かつて同じ研究会で活動していました。世間では「師弟関係」と語られることも多いですが、実際には対等な関係性にあったと言われています。しかし、ある理論をめぐって二人は激しく対立し、最終的には永遠の決別という道を歩むことになります。
なぜ、心理学界の二大巨頭は決裂してしまったのか?
そこには、人間の本質をどう捉えるかという、絶対に譲れない「魂の戦い」がありました。
今回は岸見一郎先生の『アドラー心理学入門』から、この歴史的な決別の瞬間を紐解き、二人が何に命をかけて対立したのかを解説します。
アドラーが着目した「劣等感」というキーワード
物語の始まりは、アドラーが「劣等感」という概念に注目したことでした。著書にはこうあります。
アドラーは幼児の生活に困難をもたらすような身体的なハンディキャップのことを器官劣等性と呼び、それの性格形成に及ぼす影響について研究していたのですが、やがて客観的な劣等性よりも主観的な劣等感へと関心を移しました。(岸見一郎『アドラー心理学入門』p.24)
アドラーは、心に病を抱える原因が「身体的なハンディキャップそのもの」にあるのではなく、「自分はダメなんだ」と自分を評価する「主観的な劣等感」にあると気づいたのです。そして、この劣等感を隠し、あるいは克服しようとあがくプロセスの中で、人の性格が形作られると考えました。
フロイトの逆鱗に触れた「リビドー」の解釈
しかし、このアドラーの発見は、フロイトの逆鱗に触れることになります。
リビドーではなく、劣等感を神経症の根拠として強調するアドラーの考えを、フロイトは認めるわけにはいきませんでした。(同書 p.24)
ここで鍵となるのが「リビドー」という概念です。
フロイトの言うリビドーとは、一言で言えば「心の中に流れる性的なエネルギー」のこと。フロイトにとって、人間の行動や心の病の原因はすべて、「このリビドーが抑圧され、スムーズに発散できないことによる葛藤」にありました。彼にとってリビドーは、人間を突き動かす唯一絶対のエンジンだったのです。
それに対しアドラーは、「人間を動かすエンジンは性的なものではなく、劣等感である」と主張しました。この主張は、フロイトの理論の根底を覆すものでした。
決別:原因論 vs 目的論
二人の対立は、現在の心理学における「原因論」と「目的論」の対立そのものです。
| 比較項目 | フロイト(原因論) | アドラー(目的論) |
| 人間の動力源 | リビドー(性的エネルギー) | 劣等感の克服(優越性の追求) |
| 病の原因 | 過去のトラウマや抑圧 | 未来の目的のための「言い訳」 |
| 視点の向き | 過去(なぜそうなったか) | 未来(何のためにそうしたか) |
フロイトは「人間は過去の無意識の衝動に支配される生き物」だと考え、アドラーは「人間は未来の目的に向かって自分で自分を作り替える生き物」だと考えたのです。
永遠の別れ
著書には、こうも記されています。
後に見るようにアドラー自身がこの考えを修正することになりますが、アドラーとフロイトの見解は根本的なところで相入れることのないものでした。アドラーはウィーン精神分析学会を脱退する道を選びました。(同書 p.24)
フロイトにとって「リビドー論」は、自らの人生をかけて築き上げた精神分析学の「絶対に譲れない聖域」でした。アドラーの説を認めることは、自分の学問の根底を全否定することと同じ。結果、アドラーは学会を脱退し、二人の関係は完全に終わりを告げました。
まとめ:あなたの心は今、どちらを向いている?
人間を動かすエネルギーの正体は、無意識の底にある「過去の衝動(フロイト)」なのか、それとも「未来の目的(アドラー)」なのか。
この二人の天才の激突があったからこそ、現代の心理学はより深く、多角的に発展することになりました。
もし今、あなたが何かに悩んでいるとしたら、それは「過去の出来事」に支配されているからでしょうか? それとも「より良い未来へ向かうための通過点」にいるからでしょうか?
たまにはそんな視点で、自分の心を観察してみるのも面白いかもしれません。

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