【思春期を1秒も逃すな!】心理学者ヴィゴツキーが明かすエロスと昇華の真実
子どもが思春期に入ると、急にイライラし始めたり、部屋に閉じこもったり、何に悩んでいるのか分からなくなったりして、接し方に戸惑うことも多いですよね。
ただ、思春期は
あなたのお子さんのその思春期の時期は二度と戻ってきません。そして、一瞬で過ぎ去っていきます。だからこそ、子どもの成長と向き合っているお父さん、お母さんには、ぜひ心の底から知ってほしい心理学の視点があります。
今回ご紹介するのは、心理学や教育学の世界で「思考と言語の天才」と称される発達心理学者、レフ・ヴィゴツキーの理論です。
私たちはよく、「感情や欲望は抑えて、頭で冷徹に勉強すべきだ」と考えがちです。しかしヴィゴツキーはまったく逆の立場をとりました。人間の知性や自己の確立、そして創造的な思考は、胸の奥から溢れ出る衝動や感情と切り離すことなどできない、と考えたのです。
柴田義松著『ヴィゴツキー入門』ブログ下記の引用部分は全てこの著書からのものです。
から彼の言葉を紐解きながら、親にとっても、そして子ども自身にとっても人生の道しるべとなる彼の思索の核心に迫っていきます。
今回の主なテーマは次の3つです。
・エロスの由来と本当の意味(荒れ狂うエネルギーを精神の力に変える「昇華」のメカニズム)
・思春期の超重要性(なぜこの時期に「自分とは何者か」という概念的思考が爆発するのか)
・この時期に芸術を学ぶ危険性と正しい学び方(心を殺す道徳的教育の落とし穴と正しい美育)
特に「エネルギーを持て余してしまう時期をどう生きるか」「表現や芸術とどう向き合うべきか」に悩むすべての人にとって、一生モノのヒントになる内容です。ぜひ最後まで読んでみてください。
第1章:エロスの由来と本当の意味
「エロス」と聞くと、多くの人は単なる「性的欲望」や「肉体的な本能」を思い浮かべるかもしれません。しかし、ヴィゴツキーが紐解くエロスの概念は、もっと広大で力強いものです。
彼は、人間が成長する過程、特に性的な成熟を迎える時期についてこのように述べています。
「性本能は心理学的に見て精神的衝動、苦しみ、快楽、願望、苦痛、喜びの強力な源泉であることは明らかです。性成熟期の思春期には性的欲望がはけ口や満足を見いだせず、荒れ狂うような感情を持て余し、あるいは不安に苛まれ、絶えず葛藤状態を抱えることになります。」引用
誰しも思春期の頃、胸の奥から湧き上がる名前のつかないイライラや不安、強い衝動に戸惑った経験があるはずです。ヴィゴツキーは、この荒れ狂うエネルギーこそが、人間のあらゆる感情の源泉なのだと言います。
では、この強いエネルギーを私たちはどう扱うべきなのでしょうか?
押し潰したり、力づくで抑えつけたりするのが正解なのでしょうか?
ヴィゴツキーははっきりと「ノー」と答えます。
「そこからの脱出は荒れ騒ぐ本能の破壊的力が力が必要な水路に流れる時、すなわち昇華が生じる時にのみ可能となります。昇華とは、意識化の低次のエネルギーが高次のエネルギーへ押し返され、転化することです。性教育の課題は性本能を押しつぶしたり無力化することではけしてなく、反対に、性本能の昇華、すなわちそれを意識化のより高次な興味に押し出すこと、それによって想像力を補給することであり、それこそが性教育の基本路線だとヴィゴツキーは言うのです。」引用
ここに、ヴィゴツキーの非常に重要な人間観があらわれています。
ただ欲望を抑圧すると、心は葛藤に耐えかねてノイローゼなどの病的な状態に陥ってしまうことがあります。そうではなく、そのエネルギーを「より高い次元の探求」や「創造的な表現」へと流し込む「水路」を作ること。これこそが「昇華」なのです。
そしてヴィゴツキーは、哲学者ショーペンハウエルの考えを引きながら、古代ギリシャ人が使っていた「エロス」という言葉の本当の意味に言及します。
「人間の最も創造的な年齢は性の花咲く年齢であり、性腺の内分泌が人間的活動の最高の形態である創造と緊密に結びついていることは古くから認められており、だからこそ古代ギリシャ人は性的欲望の力だけでなく、知的創造や哲学的思考の努力をもエロスと名付けていたのだと述べています。」引用
古代ギリシャ人にとって、「エロス」とは単なる肉体的な欲求ではありませんでした。「何かを生み出したい」「真理を探求したい」「世界を深く知りたい」と切望する、情熱的な知的エネルギーそのものを「エロス」と呼んでいたのです。
つまり、私たちが内側に抱える強い衝動や葛藤は、見苦しいものでも恥ずべきものでもありません。それこそが、思考を深め、自分だけの表現を生み出すための最高の燃料なのです。
第2章:思春期という「超重要」な変革期
では、そのエネルギーがもっとも大きく燃え上がる「思春期」とは、子どもの心にとって一体どのような時期なのでしょうか?
ヴィゴツキーは、思春期を単なる肉体の変化の時期としてではなく、人間の知性と心が根本から生まれ変わる超重要な変革期として捉えていました。彼は引用の中で、思春期の心理状態をこのように叙述しています。
「思春期は自分自身への高まる興味によって特徴を付けられる。子供は限りなく質問を出していたかつての時代のように再び哲学者、叙情詩人となる。自分自身の体験、自我の問題が今や少年のあらゆる注意を釘付けにするが、青年時代になるとこれが世界への客観的現実の根本的問題へと拡大し、高揚した興味にとって代わられ、それが今度はこちらの意識を苛むようになる。」引用
つまり思春期とは、意識の矢印が「外の世界」から一気に「自分自身の内面」へと向けられる時期なのです。「自分とは何者なのか?」「自分の生きる意味とは何なのか?」と悩み抜く姿は、まさに一人ひとりが「哲学者」や「詩人」になっている状態と言えます。
心理学者のエリクソンが提唱した「アイデンティティ(自我同一性)の確立」という課題に、ヴィゴツキーも真っ向から一致する見解を示しているのです。
そして、この「自分を深く見つめる力」を支えているのが、思春期に芽生える「概念的思考」の獲得です。
「幼年時代を除いて人間生活のどの段階にせよ、思春期ほど明瞭に言葉の発達と共に思考の発達が進み、言語的公式とともにますます新しいより鋭い認識が思考に可能となることを観察することはできないだろう」引用
子どもは思春期に入ると、目に見える目の前のもの(具体)だけでなく、言葉や記号を通じて「法則」や「物事の裏にある関連性(抽象)」を理解する力を手に入れます。
この概念的思考を手に入れて初めて、人間は次の3つのことができるようになるとヴィゴツキーは整理しています。
✔︎現実の裏にある法則や仕組みを解明すること
✔︎他人や人類の歴史・社会的経験を深く理解すること
✔︎自分自身の内面(心の発達や自己意識)を整理・体系化すること
つまり、「概念(言葉や論理)」というツールを手に入れることで、子どもは初めて自分の心の中のモヤモヤした感情を言葉で整理し、「これが自分なんだ」という明確な自己意識を確立できるのです。
思春期とは、溢れ出る本能エネルギー(エロス)と、新しく獲得した言葉の力(概念的思考)が出会い、本当の「自分」という存在を作り上げる、人生で最もダイナミックな時期なのです。
第3章:この時期に芸術を学ぶ危険性と正しい学び方
しかし、ここで大きな落とし穴が存在します。
自分の内面と深く向き合い、エロスと概念的思考を研ぎ澄ましていくこの繊細な時期に、絶対にやってはいけない教育があります。それが、「芸術を、道徳のお説教の道具にしてしまうこと」です。
ヴィゴツキーは、学校や社会が芸術作品を「道徳的レッスン」として利用することに対して、非常に強い言葉で警告を発しています。
「芸術作品がそれ独自の価値を失い、一般的な道徳的命題の例解のようにされてしまう。そして実際にこのような理解のもとでは美的能力や技能が育てられ創造されることがないばかりか、生徒の注意を作品そのものから、それの道徳的意味の方に移すことが教育的規則にされてしまう。その結果は、美的感情の組織的殺害である。」引用
例えば、小説や絵画に触れたときに「この物語から『友達を大切にしましょう』という教訓を学びましょう」と大人が指導してしまうケースです。
ヴィゴツキーに言わせれば、これは子どもの感性を育てるどころか、「美的感情を殺害する行為」に他なりません。なぜなら、芸術作品の本質とは、道徳的な正解を覚えることではなく、現実を揺さぶる「個人的で複雑な体験」そのものだからです。
彼によれば、芸術作品とは単なる「現実のコピー」ではありません。
「小説や詩から自分たちの心情を引き出し、オペラや歴史劇から歴史の知識を、寓話から道徳を引き出す社会は、これらのそれぞれの分野でいくらかでもしっかりとした段階に達することは決してないだろう」引用
「芸術作品は決して現実を十分に正しくリアルに反映せず、現実の諸要素の中に一連の全く関係のない要素を持ち込んだ極めて複雑な加工の産物である。」引用
絵画とは、キャンバスに絵の具を塗っただけのものです。それを観た人が自分の心の中でイメージや感情を広げ、複雑な心の連想を起こして初めて「絵」になります。
ヴィゴツキーは「シェイクスピアを読むことは、シェイクスピア自身が作品を創作した時の心理活動と同じである」と言います。つまり、芸術を鑑賞するとは、受け手自身が心の中で作品を「再創造」する、極めて能動的で骨の折れる心理作業なのです。
そして、その作業を通じて自分の内面にある葛藤を乗り越えること——これこそが芸術の本質である「カタルシス(浄化)」です。
だからこそヴィゴツキーは、この時期における正しい芸術教育として次の3つの柱を提示しました。
✔︎創造性の教育(子供自身の内なる想像力を羽ばたかせること)
✔︎芸術の技術教育(ただし最小限に抑え、技術に振り回されず創作や理解に活かす指導とすること)
✔︎美的鑑賞の教育(作品の道徳的意味ではなく、作品を通して自分の心の中に感情を再創造させること)
ロシアの巨匠トルストイのように「子どもの自然発生的な野放しの想像力」をそのまま崇崇することも、ヴィゴツキーは「素朴で貧しい」と否定します。
自分の内なるエネルギー(エロス)と技術や表現の手段を結びつけ、作品を通じて自分の葛藤を昇華させていくこと。これこそが、思春期における正しい芸術の学び方なのです。
おわりに:内なるエネルギーを創造に変える生き方へ
今回ご紹介したヴィゴツキーの教えを振り返ると、彼が私達に伝えたかった生き方のメッセージが見えてきます。
思春期や青春時代、あるいは大人になってからであっても、私たちは自分の内側に割り切れない葛藤や、荒れ狂うような強いエネルギー、不安を抱えることがあります。
しかし、ヴィゴツキーは教えてくれました。それらの感情やエネルギーは、決して押し潰すべき汚いものではありません。むしろ、人間が新しい自分をつくり出し、深い思考に至るための最高の燃料=エロスなのです。
・内なるエネルギーを否定せず、探求や表現という別の水路に流し込んで昇華させること
・言葉や論理(概念)を使って、自分の内面と真摯に向き合うこと
・そして芸術を道徳的な答え合わせにするのではなく、自分自身の心で受け止め、情熱を再創造すること
「今日、誰かとともに成し遂げた理解や昇華は、明日、あなた一人の力になる」
ヴィゴツキーが示したこの発達の希望は、私たちが内なるエネルギーを力に変えて生きていくための、大きな道しるべとなってくれるはずです。
もしこの記事が、ご自身やご子どもの感情との向き合い方、学びの意味を考えるきっかけになれたなら幸いです。
Unconscious note

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